AJEQ研究会報告(5月11日)大石会員と立花会員の発表 [報告]

AJEQ研究会報告(5月11日)大石会員と立花会員の発表:(5/12)

日時:2013年5月11日(土)17:00~18:30
会場:立教大学 池袋キャンパス 本館(1号館)2階 1201教室
発表
1)大石太郎会員(関西学院大学)
「地理学からみたカナダの公用語マイノリティ―ケベック州外のフランコフォンを中心に―」
 カナダの公用語マイノリティについて、地理学の視点から紹介があった。まず、言語を研究対象とする地理学について、大西会員の専門が「言語集団を人口集団ととらえ、地域現象としその動態を研究する」地言語学(geolinguistics)であることが説明された。カナダにはフランス語母語者が約22%存在し、ケベック州に集中するものの、他州各地に居住することが、写真入りスライドを用い、具体例とともに紹介された。ケベック州とニューブランズウィック州(とくに北東部)をのぞき、フランス語母語者はすべてバイリンガル話者であり、英語を話すことを受け入れながらもフランス語を維持している。カナダにおけるバイリンガル人口は2001年をピークにほぼ横ばいで推移している(2011年は17.5%)。公用語マイノリティの言語状況には、公用語化、教育の充実等の制度的支援だけでなく、都市地域と非都市地域の格差、立地条件、産業構造の違いなどを考慮に入れて考察する必要があることが述べられた。
2)立花英裕会員(早稲田大学)
「ケベック文化の形成と知識人- ジェラール・ブシャールが見た文化的亀裂-」
ジェラール・ブシャールGerard Bouchardの著書『ケベックの生成と「新世界」』に見られるケベックの知識人のあり方に関する分析が紹介された。ケベックはその歴史的地政学的特色として、政治、宗教、経済、文化の仏・英・米への依存形態を持ち、複雑な選択を迫られてきた。以下の歴史区分により、各時期の知識人の状況が確認される。
(1) 1608-1763年(ケベック入植地建設からパリ条約まで)
 北米におけるフランスのレプリカとしてのケベック。エリートが書き言葉を通じてパリの規範にしばられる一方、民衆は新しい状況に自由に適応していった。ネイションの原初イメージの生成。
(2) 1763-1840年(ケベック植民地成立から愛国者党の反乱まで)
 イギリス文化が浸透し文化がハイブリッド化。出版活動が発達するなか、民衆と知識人のあいだに乖離が生じた時代。パピノーの乱は民衆の側に立った最初の知識人の運動であった。
(3) 1840-1940年(連合カナダ植民地成立からデュプレシ政権失脚まで)
 誤ったネイションイメージが作られた時代。「生き残り」伝説。ガルノーに代表される知識人像(アメリカ大陸の現実から目を背けた)。
(4) 1940-2000年(第二次世界大戦による国家資源動員法制定から、静かな革命、1995年州民投票まで)
 アメリカ性の自覚、フランスからの離脱の時代。ケベック知識人のジレンマ(民衆、中産階級の「アメリカ的夢」を受け入れられない)が見られる。
 このようなケベック社会の未来のあり方として、ブシャールは「文化私生児論」を唱える。自らを「第三世界」として認識し、私生児としてのパラダイムを追及することにより、異種混交の文化を実現していく、という未来像であり、カリブ海地域のクレオール文化との共通性が指摘された。
(文責:小松)
大石会員の発表
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立花会員の発表
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(写真提供:小松)
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