特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見2 [特集]

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見2

9月24日掲載

2. 陶山宣明(帝京平成大学)

ケベック党とスコットランド国民党

 9月4日に行なわれた州選挙で、ケベック党(PQ)は9年ぶりに政権に復帰し、ケベック史上初の女性宰相が誕生した。過去の二回の政権奪取時(1976年、1994年)には6割を超える議席を確保して安定した滑り出しだったが、少数党政府に過ぎないマロワ政権は心もとない船出を余儀なくされている。ケベック自由党とケベック未来連合が協力すればいつでも不信任案は成立し得、新政権は倒れる状態にあるため、早い段階で結果を出して、州民の支持を着実に高めて行く必要がある。まず、野党にも受け入れられる範囲で、且つ、右寄りの前政権とは差異が認められる形で、経済、社会政策面の実績を上げることが問われる。レファレンダムを行なうことを選挙時に公約した後で実践したレベックやパリゾーとは全く違う立場にある新首相は、そもそもの党是であるケベックの主権を直ちに州民に問おうとすれば必然的に議会解散が待っている。
 よく似た性格を持ち合わせたスコットランド国民党(SNP)と比較してみたい。連合王国から脱退してスコットランドに主権を回復する目標を掲げて結党されてから既に78年も経ち、1960年代の静かな革命で起こった大きな社会的な変化の末に生まれたケベック党よりも長い歴史を誇っている。ところが、SNPがPQの経験から学んでいること大なのは、前者が政治勢力として急速に力をつけて来たのはほんのこの十年余に限られるからである。1707年の合同法以降スコットランド人にとってもウェストミンスターこそが議会で、単純小選挙区制で二大政党制が確立している英国で小政党は苦戦を強いられ、SNPは通常選挙では1970年にやっと議席を取ることができた。1974年に最高11議席まで増やせたが、スコットランドの選挙区中の15.5%を占めただけであり、議会全体だとたったの1.7%でしかなかった。ブレア労働党政権下で復活したスコットランド議会で、最初の選挙でいきなり第一野党に躍り出て、2007年では早くも政権の座に就き、党首サモンドは自治政府首相に就任した。2011年には小選挙区比例代表併用制ではなかなか難しい過半数議席をゲットしたSNPは、選挙公約通りにスコットランド独立の是非を問う住民投票を実行する見込みである。
 ケベックより一足先に、スコットランドで投票がありそうだが、予断を許さない。スコットランド(人口5百万人)よりも小さな国が欧州には数多く存在し、その背景に超国家組織EUの発展がある。スコットランド人が国家内の民族として生き続ける道を選ぶか、それとも、自分たちの民族国家を持って大きなフレームの中に活路を見出そうとするのか、2014年秋に結論が出る。
 ケベックで三度目の州民投票が挙行される可能性は、PQが勝利の暁に実施する公約をした上で安定過半数議席を得られた時に生まれる。そのためには、庶民の生活を楽にしてあげて社会民主主義政党の性格を維持しながら、中道から右寄りのナショナリスト票をも取り込んで行って、マロワ首相が議会を解散する運びとなる。その際に、大西洋を横切った地域での運動の成否は、ケベックの成り行きに全く無関係ではあり得ない。

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