特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見5 [特集]

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見5

9月27日掲載:

5. 仲村 愛(明治大学大学院、モントリオール大学):

ケベック党は本当に「少数派」与党なのか

 2012年9月4日、ケベック州議会の総選挙が行われた。結果はPQ(ケベック党)54議席、PLQ(自由党)50議席、CAQ(ケベックの未来連合)19議席、QS(連帯ケベック)2議席であり、分離・独立派のPQが少数派与党を形成し9年ぶりに政権に返り咲いた。また、ケベック史上初の女性首相が誕生した。敗したもののかなりの議席を獲得したPLQは、党首を務める前首相ジャン・シャレ氏が自身の選挙区で落選した。シャレ氏は数日後に政界からの引退を表明した。
 ポリーヌ・マロワ首相率いるPQが少数派与党である点を強調するメディアは多い。PQは過半数の63議席に届かず、最大野党となったPLQとはわずか4議席の差しかないからだ。「世界中で最も支持率の低い政権」といった表現さえ散見された。
 だが本当にPQの支持率は低いのだろうか?確かに、PQとPLQの獲得議席数を見れば、PQはいかにも辛勝という感じである。得票率でいえばわずか31.9%。州民の3割にしか支持されていない与党というわけである。
 だがちょっと待ってほしい。PQ以下各党の得票率を見てみたい。PLQ31.2%、CAQ27.1%、QS6%、その他3.9%となっている。この数字が表すのは、PQの獲得票の少なさよりも、むしろ2011年11月に誕生したCAQの躍進ぶりである。議席数ではPQとPLQに対してそれぞれ30議席もの差があるにもかかわらず、得票率でいえば、CAQは両政党に対して4%台の差しか許していないのだ。
 得票率が必ずしも議席数に反映されないのは、ケベック州の選挙制度が小選挙区制だからだ。全州125の選挙区からそれぞれ当選できるのは1人のみ。この選挙制度は、当選者の確定が容易だが死票が多いというデメリットがある。なぜなら、その選挙区内で相対的に獲得票数が一番多い候補者が当選できるからだ。接戦であればあるほど死票が増え、民意が反映されないことになる。
 選挙区ごとに結果をみれば、モントリオール都市圏では、かなりの選挙区でPLQが他に追随を許さない形で白星を飾っている。だが、それ以外の地域でPLQが当選した選挙区ではむしろ、PLQとCAQの接戦、或いはそれにPQを加えた三つ巴の戦いであったことが伺える。CAQ、惜しくも当選まであと一歩届かず―そんな選挙区が州全体のあちこちで見受けられるのだ。もし比例代表制だったならば、CAQの獲得議席数はもっと多かったに違いない。
 もともとCAQは元ケベック党員(ペキスト)のフランソワ・ルゴー氏が結成した政党。昨年PQを離党した多くの政治家はCAQへ移籍した。つまり、PQの「少数派与党」は、PQの支持票の多くがCAQへ流れた結果なのである。とすれば、「分離・独立派」の勢いはむしろ強まっているのではないか。CAQの今後の動きに注目だ。

(明治大学大学院教養デザイン研究科博士後期課程2年、モントリオール大学留学中)

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見4 [特集]

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見4

9月26日掲載:

4. 荒木隆人(京都大学大学院、ケベック大学モントリオール校):

ケベック州選挙についての雑感―ケベック党が直面する課題―

荒木隆人
京都大学大学院法学研究科博士後期課程
ケベック大学モントリオール校政治学研究科修士課程

 去る2012年9月4日に実施されたケベック州の州選挙では、ポーリーヌ・マロワ党首に率いられたケベック党が125議席中54議席獲得し、50議席獲得したケベック自由党を破って第一党となり、9年ぶりに政権復帰した。周知の通り、ケベック党は1968年にルネ・レヴェックによって結成されて以来、主権連合を根本綱領とする政党である。今回の選挙でケベック党が第一党になったのには、様々な要因が働いているだろうが、今年2月にラヴァル大学とケベック大学の学生組合を発端とし、労働組合や一般州民にまで拡大した大学の学費値上げ反対運動に対して、ケベック党が学費値上げ凍結を公約として打ち出すことで運動の取り込みを図ったことが大きな要因の一つであったと言える。従って、州民は何よりもまずこの学費問題の解決の行方を見守ることになるだろう。9月19日に発足したマロワ新政権は早くもこの問題への積極的な取り組みの姿勢を示した。まず、新政権はその閣僚人事において、若干20歳の学生運動のリーダーの一人レオ・ビュロー・ブリュアン(Leo Bureau-Blouin)を議会秘書官に任命し、次に、政権発足初日となる20日には、大学の学費値上げに関して、今年度(2012-2013年)は値上げを実施せず、その後の年度については今後開かれる予定の教育問題についての頂上会議での討論の結果に委ねることを約束した。
 ケベック党の根本綱領である主権連合構想の実現についてはどのように考えられるだろうか。少数与党政権である現在では、主権レファレンダムの実施はすぐには困難であろう。他の政党との主権獲得に関する協力の可能性についてはどうであろうか。今回の選挙で19議席を獲得し、第三党となったCAQ(ケベックの未来連合)は、ケベックの主権獲得よりも小さい政府を目指すという経済政策の方に強い関心をもつ政党である。むしろ、主権獲得についてケベック党と協力する可能性があるのは、第四党である中道左派で主権ケベックを主張するQS(ケベック連帯)の方であるが、獲得議席数が2議席ということを考えると、ケベック党の54議席と合わせても、州議会で過半数に届かない規模である。加えて、昨年8月に実施された世論調査(the Leger Marketing Poll)によれば、ケベックの主権獲得を望む州民は全体の24%にとどまるとされている。従って、ケベック党にとって、主権連合構想は根本綱領であるには変わりはないとしても、学費問題解決を含む今後の難しい政策運営を切り抜け、州民の支持を強固にすることが先決の課題となる。とはいえ、主権連合構想を将来的な目標とする政党の政権復帰が、今後のカナダ政治に大きな影響を与えるようになるだろうことは否定できないだろう。

(京都大学大学院法学研究科博士後期課程、ケベック大学モントリオール校政治学研究科修士課程)


特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見3 [特集]

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見3

9月25日掲載

3. 小畑精和(明治大学)

州議会選挙結果とケベック社会の未来

 9月4日に行われたケベック州議会選挙では、これまでの「主権派」か「連邦派」かという対立軸に加えて、「市場原理」がどこまで優先されるのかも問われた。
 総議席数125のうち、主権連合派のケベック党(PQ)が54議席 (得票率は31.94%)を獲得して第一党になったが、少数与党である。政権与党だったケベック自由党(PLQ)は50議席(得票率31.21%)にとどまり、現首相のジャン・シャレ氏も落選した。昨年誕生した新政党の「ケベックの未来連合」Coalition Avenir Quebec(CAQ)は19議席(27.06%)。緑の党のケベック版「ケベック連帯」Québec solidaireが2議席(6.02%)。
 PLQは汚職まみれでいやだけど、ケベックの「独立」も不安だし、かといって、第三極のCAQもまだ未知数だし、、、といったとまどいもあろうが、この選挙結果は「新たな争点」に対するケベック州民のためらいの反映でもあろう。
 今回の選挙では、市場原理をどこまで優先させるのかも問題になっていた。ケベックでは今年学費値上げ反対の学生運動が広がり、ストやデモが大規模に展開されてきた。3月22日にはモンレアルで20万人のデモ参加者を数え、この数字はケベック史上最大と言われている。ことは単なる学費値上げ問題から、「市場原理至上主義」批判へと広がっていった。PLQ政府はデモやピケなどを規制する78号法(のちに12号法)を州議会で可決させて対抗した。これに対して多くの教員組合、PQは学生支持を表明していた。汚職疑惑だけでなく、若者の支持を失ったこともシャレ政権敗北の原因の一つだったのである。
 学費値上げに代表されるように、PLQはケベック社会をより市場原理に委ね、州政府の負担を軽くする方向に舵をとろうとしてきた。今回の選挙結果はその方向に州民が疑義を挟み、PQが一応勝った形になったが、第三党のCAQは「市場原理」優先でPLQに近く、「大きな政府」志向を州民が支持したともいえない。
 また、PQはPLQがフランス語を十分に擁護していないとして、フランス語憲章の適用強化を主張している。この点でもCAQはPLQに近い立場である。
 マロワ新首相は学費値上げの撤回、12号法の廃止を早々に宣言した。しかし、PQも過半数をえたわけではなく、連立を組むCAQは学費値上げ賛成であり、新政府の前途は多難である。確かに、学生や労働組合はPQの勝利を歓迎しているし、党首のポーリーヌ・マロワはケベック史上初の女性首相になる。しかし、勝利の高揚はなく、Le Devoir紙の世論調査によると、有権者の48%が今回の選挙結果を不満に思っている。学生団体もPQが学費値上げ撤回を実施できるのか注視している。
 また、勝利直後のマロワ党首が演説中にPQの集会が暴漢に襲われ、一人が射殺され、一人が負傷した。犯人は多くの銃器を所有していたという。そのため、銃規制強化も浮上してきており、規制を弱めようとする連邦政府と対立する問題が一つ増えることになる。
 今後ケベック社会はどういう方向に進んでいくのだろうか。10月6日の大会でDenise Daoust UQAM名誉教授が「フランス語憲章」について講演してくださる。また、12月には、Gérard Bouchard UQAC教授が来日する。両教授が今回の選挙結果をどのようにとらえ、ケベックの未来をどのように考えているのか、今から講演を聞くのが楽しみである。
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特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見2 [特集]

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見2

9月24日掲載

2. 陶山宣明(帝京平成大学)

ケベック党とスコットランド国民党

 9月4日に行なわれた州選挙で、ケベック党(PQ)は9年ぶりに政権に復帰し、ケベック史上初の女性宰相が誕生した。過去の二回の政権奪取時(1976年、1994年)には6割を超える議席を確保して安定した滑り出しだったが、少数党政府に過ぎないマロワ政権は心もとない船出を余儀なくされている。ケベック自由党とケベック未来連合が協力すればいつでも不信任案は成立し得、新政権は倒れる状態にあるため、早い段階で結果を出して、州民の支持を着実に高めて行く必要がある。まず、野党にも受け入れられる範囲で、且つ、右寄りの前政権とは差異が認められる形で、経済、社会政策面の実績を上げることが問われる。レファレンダムを行なうことを選挙時に公約した後で実践したレベックやパリゾーとは全く違う立場にある新首相は、そもそもの党是であるケベックの主権を直ちに州民に問おうとすれば必然的に議会解散が待っている。
 よく似た性格を持ち合わせたスコットランド国民党(SNP)と比較してみたい。連合王国から脱退してスコットランドに主権を回復する目標を掲げて結党されてから既に78年も経ち、1960年代の静かな革命で起こった大きな社会的な変化の末に生まれたケベック党よりも長い歴史を誇っている。ところが、SNPがPQの経験から学んでいること大なのは、前者が政治勢力として急速に力をつけて来たのはほんのこの十年余に限られるからである。1707年の合同法以降スコットランド人にとってもウェストミンスターこそが議会で、単純小選挙区制で二大政党制が確立している英国で小政党は苦戦を強いられ、SNPは通常選挙では1970年にやっと議席を取ることができた。1974年に最高11議席まで増やせたが、スコットランドの選挙区中の15.5%を占めただけであり、議会全体だとたったの1.7%でしかなかった。ブレア労働党政権下で復活したスコットランド議会で、最初の選挙でいきなり第一野党に躍り出て、2007年では早くも政権の座に就き、党首サモンドは自治政府首相に就任した。2011年には小選挙区比例代表併用制ではなかなか難しい過半数議席をゲットしたSNPは、選挙公約通りにスコットランド独立の是非を問う住民投票を実行する見込みである。
 ケベックより一足先に、スコットランドで投票がありそうだが、予断を許さない。スコットランド(人口5百万人)よりも小さな国が欧州には数多く存在し、その背景に超国家組織EUの発展がある。スコットランド人が国家内の民族として生き続ける道を選ぶか、それとも、自分たちの民族国家を持って大きなフレームの中に活路を見出そうとするのか、2014年秋に結論が出る。
 ケベックで三度目の州民投票が挙行される可能性は、PQが勝利の暁に実施する公約をした上で安定過半数議席を得られた時に生まれる。そのためには、庶民の生活を楽にしてあげて社会民主主義政党の性格を維持しながら、中道から右寄りのナショナリスト票をも取り込んで行って、マロワ首相が議会を解散する運びとなる。その際に、大西洋を横切った地域での運動の成否は、ケベックの成り行きに全く無関係ではあり得ない。

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特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見1 [特集]

特集「ケベック州議会選挙解説と雑感」意見1

9月14日掲載

1. François Hébert

L'élection, le 4 septembre 2012, marque le retour au pouvoir du Parti québécois, indépendantiste et de centre gauche, après neuf années dans l'opposition et au terme d'un printemps agité, qualifié par les poètes des médias de printemps érable par allusion paronomastique au printemps arabe, qui a vu les étudiants descendre dans les rues et manifester avec banderolles et casseroles durant plus de cent jours. Les électeurs ont conféré au Parti québécois un mandat minoritaire cependant, ce qui fait que les élus auront fort à faire pour réaliser leur programme, notamment la marche vers la souveraineté. Après les chefs indépendantistes René Lévesque, Pierre-Marc Johnson, Jacques Parizeau, Lucien Bouchard, Bernard Landry et André Boisclair, voilà qu'une femme, c'est une première, dirigera les destinées de la province. Pauline Marois a une longue expérience des ministères et ne s'en laissera pas imposer par les deux principaux partis d'opposition, le Parti libéral dont le chef, Jean Charest, a été défait dans son propre comté, et la Coalition Avenir Québec, dirigée par un ancien ténor de l'indépendance, François Legault. Un second parti indépendantiste, Québec solidaire, a réussi à faire élire deux députés et reçu assez de suffrages dans nombre de comtés pour priver le Parti québécois de la majorité absolue. Le soir de la victoire de Pauline Marois, un attentat contre elle et les sympathisants qui s'étaient réunis à Montréal, a coûté la vie à un technicien et en a blessé un autre. Un caméraman de Radio-Canada a pu filmer le tout. Un cinquantenaire assez corpulent, cagoulé et vêtu d'une sorte de peignoir, s'est avancé et a tiré sur les hommes qui se trouvaient devant la porte de la salle, puis il a tenté de mettre le feu au bâtiment, mais il a été maîtrisé par la police en moins de deux minutes. Il s'appelle Richard Bain et il a crié avec son accent anglais, au moment où on l'appréhendait : «Les Anglais se réveillent! Les Anglais se réveillent!» Si sa mitraillette ne s'était pas enrayée et qu'il avait pu franchir la porte de la salle, on ose à peine imaginer le massacre. Les débats vont bon train : s'agissait-il d'un illuminé ou d'un terroriste, et à qui la faute si un tel acte a pu être commis? Certains blâment les hommes politiques et les médias, dont les discours enflammés ou les analyses partisanes durant la campagne électorale ont pu exacerber l'antagonisme entre francophones et anglophones, en diabolisant les tenants de l'indépendance du Québec et leur désir d'un troisième référendum. D'autres opinent : ce n'était qu'un fou. Quoi qu'il en soit du réalisme ou du surréalisme de son geste et de ses motivations, il possédait bel et bien une vingtaine d'armes à feu, et il en avait cinq avec lui le soir de l'attentat. Cela relance la question de la loi relative au contrôle des armes à feu, que le gouvernement fédéral veut abroger. Une énième confrontation entre le Canada et le Québec est à prévoir.

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